22歳の高校球児

草野球チーム 天翔(あまんと)主将 甲子園目指して日々練習中。 いろいろ語ります。

当たり前のおはなし

いつも前振りが長いので今日はいきなり本題に入ります。

まずこの言葉をお聞きください。

 

「僕頑張ってるんですけど結果出ないんですよね〜」

 

、、、いや、当たり前です!!

でもこれならまだかわい気があります。僕がタックルかましたくなるのはこんな人です。

 

「結果は出なかったけど頑張ったからそれでいいよね!結果より努力したってことが大事!(キリッ)」

 

いや、もうこいつ何考えとるん?ってレベルですよね。でも実際いるんですよ、こういう私努力しましたアピール自己満さんが。

 

この2つの言葉に共通するニュアンスってなんでしょうか?僕が思うに

「手段が目的化している」

だと思います。

例えば1週間後に野球の試合があるとしましょう。そこでどうしてもヒットが打ちたい。そのかっこいい姿をあの子に見てもらうんや!

最後のは余計でしたが目的を1週間後の野球の試合でヒットを打つことに定めましょう。そのためにみなさんはどういう努力をしますか?素振りをする人もいるでしょう。バッティングセンターに行く人もいるでしょう。プロ野球選手の動画を見る人もいるのではないでしょうか。何だっていいんですけどこれが手段です。別に1日素振り何回しようがいいんですよ。ヒットが打てれば。もっと言うと目的が達成できれば。さっき例に出した頭の中お花畑さんはここがあやふやなんですよね。多分そういう人たちがヒット打てなかった時に言う言葉って

「努力したけどできなかったんだからしょうがないよね!(爽やか)」とかじゃないですかね。

当たり前のこと言いますけど

 

みんな努力してますからね?

 

スーパーのレジ打ちのおばちゃんもニートと言われる人たちも何かしら努力したことはあるし今もしてると思いますよ?

努力なんて当たり前なんですよ。

これは義務教育で頑張った人が偉いみたいな教育がなされていることが根底にあって起こっている風潮だと思います。違いますよ。

結果出したやつが偉いんですよ。

なんか学校ではこういうところがひた隠しにされてる気がしてます。そういう訳分からん道徳観念はどうでもいいからどうやったら社会人として結果出せるか(金儲けれるか)、とか節税の仕方とか教えたらいいのになと思います。

 

と、今まで結果の出ない努力は無意味だ!みたいな話をしました。その通りです。今までの約900字を要約すればそんな感じになります。

 

でも果たして本当にそうなんでしょうか?ここまで言っといて何ですが僕はそうは思いません。もちろん客観的には無意味です。結果出てませんからね。でも主観的に見た時にどうでしょうか?努力する前の自分と後の自分で何か変わったことはありませんか?全くないなんてことは絶対にないです。

それが「成長」なんですよ。

外から見えてる部分だけじゃ分からないものもあります。でもその目的に対して精一杯努力して叶わなくてもそこには必ず意味があります。成長した自分は確実に存在します。それを糧にしてまた次の目標に向けて頑張ったらいいんですよ。失敗してもまた次、また次ってやっていけばそのうち成功します。その試行が人生で1番楽しいことなんじゃないかなと思っています。

今僕の中には「絶対成功したい」と思っている自分と「また失敗せんかな〜、そしたらもっと経験積めるな〜」と思っている2人の自分がいます。面白いですよね。

 

努力は誰でもしていて、それは目的を達成するためにするんだよというおはなし。

例え成功しなくても努力した証として成長した自分は残るよというおはなし。

2つの当たり前のおはなしでした。