当たり前のおはなし
いつも前振りが長いので今日はいきなり本題に入ります。
まずこの言葉をお聞きください。
「僕頑張ってるんですけど結果出ないんですよね〜」
、、、いや、当たり前です!!
でもこれならまだかわい気があります。僕がタックルかましたくなるのはこんな人です。
「結果は出なかったけど頑張ったからそれでいいよね!結果より努力したってことが大事!(キリッ)」
いや、もうこいつ何考えとるん?ってレベルですよね。でも実際いるんですよ、こういう私努力しましたアピール自己満さんが。
この2つの言葉に共通するニュアンスってなんでしょうか?僕が思うに
「手段が目的化している」
だと思います。
例えば1週間後に野球の試合があるとしましょう。そこでどうしてもヒットが打ちたい。そのかっこいい姿をあの子に見てもらうんや!
最後のは余計でしたが目的を1週間後の野球の試合でヒットを打つことに定めましょう。そのためにみなさんはどういう努力をしますか?素振りをする人もいるでしょう。バッティングセンターに行く人もいるでしょう。プロ野球選手の動画を見る人もいるのではないでしょうか。何だっていいんですけどこれが手段です。別に1日素振り何回しようがいいんですよ。ヒットが打てれば。もっと言うと目的が達成できれば。さっき例に出した頭の中お花畑さんはここがあやふやなんですよね。多分そういう人たちがヒット打てなかった時に言う言葉って
「努力したけどできなかったんだからしょうがないよね!(爽やか)」とかじゃないですかね。
当たり前のこと言いますけど
みんな努力してますからね?
スーパーのレジ打ちのおばちゃんもニートと言われる人たちも何かしら努力したことはあるし今もしてると思いますよ?
努力なんて当たり前なんですよ。
これは義務教育で頑張った人が偉いみたいな教育がなされていることが根底にあって起こっている風潮だと思います。違いますよ。
結果出したやつが偉いんですよ。
なんか学校ではこういうところがひた隠しにされてる気がしてます。そういう訳分からん道徳観念はどうでもいいからどうやったら社会人として結果出せるか(金儲けれるか)、とか節税の仕方とか教えたらいいのになと思います。
と、今まで結果の出ない努力は無意味だ!みたいな話をしました。その通りです。今までの約900字を要約すればそんな感じになります。
でも果たして本当にそうなんでしょうか?ここまで言っといて何ですが僕はそうは思いません。もちろん客観的には無意味です。結果出てませんからね。でも主観的に見た時にどうでしょうか?努力する前の自分と後の自分で何か変わったことはありませんか?全くないなんてことは絶対にないです。
それが「成長」なんですよ。
外から見えてる部分だけじゃ分からないものもあります。でもその目的に対して精一杯努力して叶わなくてもそこには必ず意味があります。成長した自分は確実に存在します。それを糧にしてまた次の目標に向けて頑張ったらいいんですよ。失敗してもまた次、また次ってやっていけばそのうち成功します。その試行が人生で1番楽しいことなんじゃないかなと思っています。
今僕の中には「絶対成功したい」と思っている自分と「また失敗せんかな〜、そしたらもっと経験積めるな〜」と思っている2人の自分がいます。面白いですよね。
努力は誰でもしていて、それは目的を達成するためにするんだよというおはなし。
例え成功しなくても努力した証として成長した自分は残るよというおはなし。
2つの当たり前のおはなしでした。
何もしないことが〜(むにゃむにゃ)
みなさん、お久しぶりです。
この1ヶ月多忙を極めており更新遅くなりました。(分かりやすい言い訳)
この1ヶ月に起きたことを卒業生の言葉風に書くので頭の中で「翼をください」でも流して鼻で笑いながら読んでください。
8割が社長と普通に喋ってだけの〜、最終面接〜
なんだかんだでおもろかった〜、教育実習〜
選ばれてびっくり〜、中四国選抜〜
みんなの忘却の彼方〜、わいの誕生日〜
、、とまあこんな感じです。忙しかったな〜(ハナホジー)
まぁこんなことはどうだっていいんですよ。
僕が今日つらつら書きたいのは「失敗」についてです。(少し刺激的な内容になるかも知れませんがオブラートに包んでもしゃーないので言いたいこと全部言いますね)
いきなりですがみなさんに質問です。
こんな言葉聞いたことないですか?
「成功の対義語は失敗ではない。本当の失敗とは何もしないことだ。」
僕はこの言葉耳にタコができるくらい聞きました。だんだんイライラしてきたので次僕にこの言葉を言ってきたやつにはブレーンバスターをかましてやろうと思います。
みなさんも僕くらいまではいかなくても何度も聞いたことがあると思います。
じゃあ少し質問を変えてみます。
「あなたはこの言葉を実行に移せていますか?」
あれれ〜、この質問は手が上がらないな〜(うざい)
でも本当に小学校みたいに分かったら手を挙げてね方式にしたらその数はぐっと減ると思います。頭では分かっているしそうしたいと思っているけどできない。そういうことですよね?よく分かります。
先日行った教育実習である学生が授業が上手くいかずめちゃくちゃ落ち込んでいたと友人から聞きました。
そこに対する僕の答えは1つです。
「上手くいかんくて当たり前じゃん!なんでそんなことで落ち込むん!?」
僕たちは何のために実習に来たのか。端的に言うと「できないことをできるようにするため」です。
そうなんです。できないことなんです。誰も最初から出来るなんて思ってませんよ。それなのに最初からできると思って失敗して落ち込むなんてよっぽど自信があるんだな〜と思いました。
じゃあなんでそんなに自分への期待値が高かったのか。多分自分からレールの外に飛び出して挑戦したことがないんだと思います。これは大多数の人が当てはまるんじゃないでしょうか。レールに沿って生きていくのは楽です。勉強して大学入ってサークル入ってバイトして単位取って卒業して。楽しい大学生活だと思います。ただ1つ疑問があるんですよね。
「どこで失敗するんですか?」
バイトで失敗したことあります!とかサークルでこんな失敗しました!とか言うと思います。じゃあその責任誰が取りますか?店長だったり学長だったりが取るはずです(日大アメフト部の事件ではそれがなされていませんが)
結果に対して責任の伴わない失敗は本当の失敗じゃないと思います。そういう人がされると困る質問の1つに
「あなたが今本当にやりたいことは何ですか?」
があります。自分で責任を取らなくて良い意思決定しかしたことがないから自分の内なる声が分からなくなってしまっているんですよね。
つまり、みんなと同じように誰かの敷いたレールに沿って、空気を読んで生きて来た人って本当に自分のしたいことが分からなくて失敗できないと思っている人なんです。
もっと言うと「何もしない人」なんです。
はい、繋がりましたね。
出る杭は打たれると思って親に従い、先生に従い、友達と馴れ合って来たあなた!そんなあなたがめでたく「何もしない人」なわけですよね。
そんな自分嫌ですよね?変えたいですよね?どうやったら変えられるか。とりあえず今やってること何か辞めてみてください。辞めるというのはとてもエネルギーが要ることです。そこができたらまず第一関門突破です。(誰にも相談せずに辞めてくださいね)次に自分のやりたいことを思いついたら即始めてください。で、飽きたらすぐに辞めてください。
それができたら劇的に変わりますよ。
ちなみに僕の将来の夢の1つに日本をそんなアホばっかりの国にするっていうのもあります。その話はまた後日。
あえて挑戦的な書き方をしてイラッとさせたかも知れませんが最後まで読んでいただきありがとうございました。
失敗しても死にはしないので気楽にいきましょう!!
Take it easy!!
マジ卍!!!!!
「おっちゃん、俺マジ卍!」
これはスイミングスクールのコーチをしている父が子どもに言われたことだそうです。
父はこの言葉の意味が分からず僕に聞いてきました。僕も自信はなかったのですが「ヤバい!」みたいな感じの多義語だということは認識していたのでそう答えました。
今日話していきたいのは日本語の乱れとかそんなどうでもいい話ではありません(老害が湧きそう)
みなさんは目の前に全く新しい考え、理論が現れたときにどう対処しますか?
おそらく2パターンに分かれるのではないでしょうか。
①拒絶する
②とりあえずやってみる
別に①のような対処をとることが悪いことではありません。例えば「明日からあいさつでキスをしてください」と言われてできますか?僕は無理です。それって自分のプライド、価値観を守ることなので全然普通のことです。
じゃあ次はこんな例を出しましょうか。「同じ側の手と足を出すと速く走れますよ」これはね、僕やっちゃうと思います。笑
今よりパフォーマンスを向上させられるならとりあえずやってみようと思うタイプなんですよね。これは②のとりあえずやってみるに当てはまりますよね。
こんなこと考えてて最近思うのが伸び率が高い人って「②の割合が圧倒的に高い人」だと思うんですよね。目の前に新しい考えが現れた時にそれを受け入れるか拒絶するか。1つ1つの試行では差は小さいですがそれが積み重なると人としての経験値の差は莫大なものになると思います。
「よし、分かった!②の割合を高めよう!!」ここまで読み進めてくれた人はそんな考えになったのではないでしょうか?じゃあ具体的に何をするか。それは、、、
「プライドを捨てる」ことです。
僕はよく知り合いから「よくそんな何でも手を出せるね」と言われます。なぜか。プライドがないんですよね。プライドがないから恥ずかしいとか失敗したらどうしようとかそんなに考えない。もともとプライドないんだから失敗したところでそんなダメージは受けません。
プライド高い人は損してるなって思います。「失敗したくない。安定した人生を送りたい。恥をかきたくない。」プライドの高さは往々にして成長を妨げます。
最初の話に戻りますがあなたが僕の父なら「マジ卍!」と言われたらどうしますか?
ちなみに僕の父は日常会話で使っているそうです。(57歳がマジ卍は正直痛い)
新しい考えを受け入れて自分の思考、行動をアップデートしていくか、自分の価値観に篭って己を貫くか。将来老害と言われないために今からできることをしようかなと思ってます。
それでは、
マジ卍!!!!!!
大学インキャ
完全に流行りに乗りました。
インキャが書くブログなのでくそほどおもんないですが普段思ってることを書いてみようかなと思います。
まず大学内でおそらく僕が持たれているであろう印象について
1位 知らん(約7割)
2位 サッカー部の人ね⬅︎違う(約2割)
3位 山本和孝さんですね(約1割)
誤認識を除くと大学内で本当に僕のことを知っている人なんてけっこう少数なんじゃないでしょうか。
僕自身部屋にいるのが好きで大人数より1人が好きな廃人なので別に苦ではありませんが(強がり)
そんなインキャは一体何を考えているのか。そんなことを書いていこうかなと思います。
今日は1回目なので将来の夢についてでも書きますか。
みなさん将来の夢ってありますか?そう聞かれてスマホの画面の前で即答できた人、何人いるでしょうか。
夢という言葉を目標に置き換えるともしかしたら増えるかもしれませんね。ちなみに僕は大人になっていく通過儀礼の1つとして「夢が目標に変わる」があると思っています。
子どもの頃は誰しも夢を見ます。男なら野球選手やサッカー選手、女の子ならお花屋さんやケーキ屋さんが多いのかな?最近の子だとyoutuberなんて言うかもしれませんね。ちなみに僕の小6の時の将来の夢は財産収入(マンション経営)でした。両親は自分の子育てを全否定したい気持ちになったのではないでしょうか。
みなさんが幼い頃に抱いた夢はいつしか目標に変わります。ちなみに夢と目標の違いは期限と具体性だと思っています。例えば小さい頃から野球選手になりたいと思っていた子が大学生になった時4年後のドラフトにかかるためにすべきことを考えて日々を送っていくでしょう。もちろんこのようなケースはレアで多くの場合、軌道修正しながら自らの夢に期限と具体性を持たせて目標へと変容させていくことが多いでしょう。しかしここで僕はあることに気づきました。
「田舎ってめっちゃ不利じゃん!!」
夢を目標に変えるファクターは2つあると言いました。①期限②具体性です。①の期限については田舎も都会もさほど変わりません。1日24時間皆平等です。問題は②です。田舎の町と都会の街をそれぞれ想像してください。どっちの方がたくさん建物がありますか?店がありますか?人がいますか?そりゃ都会ですよね。ということは実際のロールモデルは都会の方がゴロゴロそこらへんに転がっているんです。都会の子たちは意識せずとも様々なお手本を見て情報のシャワーを浴びながら育ちます。必然的に夢を目標へ昇華させることは容易になっていくでしょう。逆に田舎の子はどうですか?自分の周りの大人がしていることなんて第一次産業、土方、工場勤務、公務員、教員。そんなもんじゃないですか?あくまで代表的なものを列挙しただけなので細かい指摘はご容赦ください。いっぱいロールモデルがある都会とほぼほぼない田舎。目標を持てる子が多いのはもう明白ですよね。だから田舎の子は都会に魅力を感じて出ていくわけです。
話を戻しましょう。
今の話を踏まえた上での僕の夢は、、
「鳥取を夢を持てて目標にできその目標を実現できる街にすること」です!
あ、申し遅れましたが僕鳥取のくそ田舎出身です。
田舎に生まれたから、とか鳥取だから、みたいな空気をなくしていきたいんですよね。
また後日書こうと思ってる僕がキャプテンやってる野球チームの天翔の話なんかもそこに繋がってきます。
あえて目標ではなく夢としたのは前例がほぼないからです。ロールモデルがないんだから具体性なんて持てるわけないんです。でもだからこそ僕が前例になって子どもたちが好きなところで好きなことして暮らせるのが「目標」にできるような社会を作りたいです。今大学生ですがそんな仕事をしていきたいななんて思ってます。
長くなりましたが夢についての話はこんな感じで。
インキャもけっこう色々考えてるでしょ?
ではまた。